帯広市史跡標示板 皆川周太夫上陸跡地

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ページ番号1005216  更新日 2020年12月14日

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皆川周太夫上陸跡地標示板写真

標示板設置場所
帯広市東10条南4丁目
史跡所在地
帯広市東9条南4丁目付近

説明

寛政12(1800)年、当時の蝦夷地(北海道)には道路がほとんどありませんでした。内陸部の開拓を進める為にも交通経路として内陸を横断する道路が必要でした。

幕府の命を受けた皆川周太夫は、同年十勝川河口のオホツナイ(現在の豊頃町大津)から十勝川筋をさかのぼって内陸部の踏査を行い、和人として初めてこの付近に上陸しました。

その後、ニトマップ(現在の清水町人舞)から日高山脈を山越えして日高の沙流川上流に出て帰省し、十勝内陸初の調査報告書と十勝河口港づくりや日高〜十勝間道路開削(現在の日勝峠)の開発計画書を作成し、周太夫は「往来易ク罷リ成リ候時ハ、其ノ道筋打開キ、自然ト山内所々ニ民家モ出来、御開国ノ御基本ニモ相成ルベキヤト存ジ奉リ候。※口語訳(もし道が拓かれ、人々の往来がしやすくなれば、その界隈が開かれ、自然と山の中にも民家ができてきて、この地域の開発の土台となるはずでしょう、と陳情いたします。)」と報告しました。

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