帯広市史跡標示板 皆川周太夫上陸跡地

- 標示板設置場所
- 帯広市東10条南4丁目
- 史跡所在地
- 帯広市東9条南4丁目付近
説明
寛政11(1799)年、東蝦夷地(北海道太平洋側)が幕府により直轄されることになりました。翌年には、同地の警備と開拓のために武蔵国から八王子千人同心が勇払・白糠へ派遣され、その中心人物の一人である原新介は、配下の皆川周太夫に蝦夷地内陸部の調査を命じました。
寛政12(1800)年、命を受けた皆川周太夫は、十勝川を舟でさかのぼり日高山脈を越えて沙流川や勇払・支笏・虻田方面へ調査を行い、道路を作る計画を立てました。
周太夫が残した調査の報告書には、この付近の地名であるバラトブトで上陸し宿泊したことが記されています(報告書には「ハラトブト」と書かれています)。この周太夫の調査が、和人による帯広への上陸の記録として最も古いものと考えられています。
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