自信と誇りを次世代に(広報おびひろ平成24年11月号掲載)
先日、ある会合で郷土史研究家の方から先人の生きざまを中心に、開拓130年の歴史のお話を聴かせていただきました。改めて多くの人々がそれぞれの時代を、精一杯勇気を持って生きてきたことに感慨を覚えたところです。
依田勉三の開拓者精神と功績は、今を生きるわれわれに脈々と受け継がれているところですが、他にも時代を拓く大きな功績を残された方々を紹介していただきました。
十勝監獄初代典獄の黒木鯤太郎は、受刑者に対してキリスト教的倫理観や誠実さなど「人間の基本」を見失わずに彼らをマネジメントしながら、十勝内陸で初めて地域開発を手掛け、公共事業ではなく刑務作業で道路や学校などを建設し十勝の礎を築きました。
鷲見邦司は、北海道庁殖民課十勝出張所の初代所長で、国有未開発地処分法を活用し、入植者に対して開墾地の払い下げや人が集まる仕組み作りなど、行政として起業・開発のインフラを整備し、都市計画の原型を策定しました。
高倉安次郎は、雑貨店開業のほか産業組合法を活用し、帯広信用組合や、競馬場・家畜共進会場を造成した十勝畜産組合などを設立し、民間の力で良質な仕事を作り、十勝・帯広のビジネスモデルの原型を確立しました。
後に民選初の帯広市長になる佐藤亀太郎は、第一次世界大戦時の砂糖不足への国家政策に対応できる場所として帯広が選ばれた時、ビート糖業に精力的に取り組み、その立役者となりました。国策にスピーディーに対応し、十勝初の近代的大工場を擁した製糖工業は、地域の発展に大きく寄与しました。
この他にも多くの先人たちの苦労・功績が見事につながって、今の帯広が成り立っています。先人たちの共通点は、それぞれのビジョンや哲学と、誠実さや周囲への思いやりなどをしっかりと持っていたことではないでしょうか。
こうした歴史を振り返ると、この2年半の間、皆さんと一緒に進めているフードバレーとかちの戦略の一つ一つが、それぞれの時代の思考と行動に、見事に重なることを改めて感じました。また、皆さんが苦労され、悩みながらの人生だったこともお聴きし、勇気をもらった思いがしました。
十勝・帯広は一生懸命働く人が、人間らしく、誠実かつ真面目に生きていくことで歴史を作ってきました。その歴史・文化がしっかりとこの地域の人々の心に刻印されていることを誇りに思い、次の時代につないでいきたいと思います。
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