森づくりをはじめて40年目の「帯広の森」(広報おびひろ平成26年10月号掲載)

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ページ番号1001629  更新日 2020年12月14日

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「街を抜けると森がある」―これは、昭和45年に作られた「帯広の森と街を創るグリーンプラン」の一節です。
当時の吉村博市長は、ウィーンの森に着想を得て、緑に恵まれた環境で、二十万市民が未来の夢を描けるよう、市街地をうっそうとした森で包むグリーンベルトを「百年の大計」として進めようと考えたそうです。
農地として切り拓(ひら)いてきた土地に、わざわざ木を植え直し、また森に戻そうというのですから、当時の市議会では、賛否両論の激論が交わされました。わずか3票差での可決。吉村市長の心境はいかばかりだったのでしょうか。
帯広の森づくりは、昭和50年6月1日、約500人が参加した第一回市民植樹祭を皮切りに、以後40年にわたり、世代から世代へ、受け継がれてきました。
これまでに植えられた樹木は約24万本、森づくりに関わった人は16万人余りを数え、面積では東京・新宿御苑の約7倍、パリ・ブローニュの森の半分にも及ぶ市民の森へと成長を遂げました。
それにしても、帯広が都市として発展を続ける真っただ中で、なぜ切り拓いた土地をまた森に戻すという発想ができたのでしょうか。また、これだけの壮大な事業を、どうして続けてこられたのでしょうか。私は、森を切り拓いたからこそ森の価値に気付き、愚直に植え続けてきた先人の心ばえに、強く心を動かされてなりません。
さて、百年の大計も半ばに近づき、帯広の森は、これから、どう成長・深化していくのでしょうか。散策やスポーツなどをはじめ、「生命を再生する場」であり続けることはいうまでもありません。
また、環境学習やバイオマス活用のモデルとしても、存在感を増していくことでしょう。まちが森で囲まれていることを防災に役立てたり、スポーツ施設や市民農園などとつないでいくことも、新たな活用方法として考えていきたいところです。
吉村市長の発想とは逆に、「森を抜けると街がある」と見れば、帯広の森が、とかち帯広空港から帯広へいらっしゃるお客様を玄関口でお迎えしている姿をイメージすることもできます。
柔軟かつ未来志向の発想に支えられ、市民が自ら創り上げてきた帯広の森。私たちは、これまでの営みに自信を持ち、新しい魅力や価値を加えていきたいものです。皆さんも改めて、帯広の森について考えてみませんか。

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政策推進部広報秘書室広報広聴課広報広聴係
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