帯広の森について

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ページ番号1002929  更新日 2020年12月25日

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帯広の森の歴史

マチをぬけると森がある。

どの道を行っても十勝特有の樹々が私達を迎えいれてくれる。

そこでは、小鳥達がさえずり、虫の羽音が聞こえてくる。緑深い森の中には、広場や花園、さまざまな運動施設がほどよく配置され、記念樹林、果樹園、市民菜園などがある。

市民のだれもが緑と太陽につつまれ、家族そろって楽しい一日をすごす。

「この木は、おとうさんが小学校に入ったときに植えたんだよ。」

「ふーん、ずいぶん大きいんだね。」

「お父さんが大きくなった分だけ、この木も大きくなったのさ。」

こんな会話が聞こえてくるような・・・・・・。100年後、200年後に夢をたくし、新しい歴史をつくりだす母なる森、それが私達のめざす帯広の森である。

これは、帯広の森造成計画書の冒頭部分です。

帯広の森は、100年の計画で、昭和50年から市民の手により植栽された木々による人工林と、開拓されずに残ったわずかな自然林で成り立っています。

このような市民協働による森づくりは、全国でも珍しい取り組みとなっています。

「帯広の森構想」を考えたのは、第5代帯広市長の吉村博でした。

吉村市長は、当時では珍しい「総合計画」を立案するなど、時代の一歩先を歩む市長でした。

「総合計画」の中では、「近代的田園都市」構想を打ち出し、都市と自然の調和がうたわれていました。

「帯広の森構想」は、昭和44年にウィーン国際会議に吉村市長が出席した際に「ウィーンの森」に感銘を受け、考えられたもので、帯広市街の南西部に森をつくり、北東部に広がる十勝川と札内川の河畔林とつながるグリーンベルトを形成することにより、無秩序な街の拡大を防ぎ、失われた開拓前の森を再現することで市民にやすらぎとうるおいを与え、人間社会と自然環境の調和を図り、緑豊かなまちづくりを進めることを目的としています。

昭和48年に市議会での白熱した論議の末、「帯広の森構想」が可決され、本格的な取り組みが始まると、その動きに呼応して、帯広の森づくりを推進する市民団体などにより実行委員会が組織され、昭和50年6月1日に「第1回帯広の森市民植樹祭」が開催されました。

昭和50年から平成16年まで行われた「帯広の森市民植樹祭」では、30回の開催で延べ14万8千人の市民が参加し、約23万本の樹木が植えられました。

また、健全な樹木を育成するため、平成3年から平成17年まで行われた「帯広の森市民育樹祭」では、15回の開催で延べ1万3千人の市民が参加し、約4万9千本の樹木の除間伐が行われました。

現在は市民植樹祭や育樹祭などの大規模なイベントは終了していますが、市民団体などによる帯広の森づくりは今も続いています。

イラスト:キタキツネ

100年後、200年後に夢を託し、たくさんの市民によってつくられた「帯広の森」。

造成開始から40年以上が経過した今、帯広の森はどのように育っているでしょうか?

帯広の森の施設整備

帯広の森は、全体を8ブロックに分け、それぞれの特色を活かした整備が行われ、多くの機能を有する大規模な都市公園となりました。

帯広の森の効用

森林にはたくさんの機能があります。地球温暖化の抑制、土砂災害の防止、防風、水の保水や浄化、大気の浄化、騒音の防止など、様々に私たちの生活に役立っています。

また、森林の中で活動するとストレスホルモンが減少するため、健康増進に役立つと言われています。

帯広の森に関する情報は次のページをご覧ください。

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都市環境部環境室みどりの課みどりと花の係
〒080-8670 帯広市西5条南7丁目1番地
電話:0155-65-4186 ファクス:0155-23-0159
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