令和8年4月20日 市長退任記者会見
- 日時
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令和8年4月20日(月曜日)10時30分~11時
- 場所
- 市庁舎4階会議室
- 出席者
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帯広市長 米沢 則寿
政策推進部 部長 中里 嘉之
政策推進部 参事 高橋 秀和
総務部 部長 河原 康博
- 記者数
- 12名(カメラ2台)
会見項目
- 退任にあたって
記者からの質問
- 16年間の市政について自己採点するとしたら。継続事項を含め、懸案事項があれば伺う。
- 退任するにあたり、改めて現在の率直な気持ちを伺う。
- 4期16年を振り返り、自身の市政運営でこだわってきたこと、力を入れてきたことを伺う。
- 4期16年の中で、一番思い出に残っていることは何か、今後の帯広市に期待することを伺う。
- 16年の市政運営で一番うれしかったこと、やってよかったこと、達成できたものはあるか。
- 4期16年を振り返り、最もつらかったことはなにか伺う。
- 民間企業の経営者だった市長からすると、市の行政職員の働き方や組織運営は、非効率な部分も見えたのではないか。16年を経て分かったことがあれば伺う、ほか。
- これからのこの地域の課題に対して、こう変わっていく必要があるのではないか、また、変わっていくと良いと思っているのはどういう点か。
- フードバレーとかちについて、今後、どうなってほしいのか。
- 市長ご自身のこれからについて伺う。
- 市民と新市長へのメッセージをお願いしたい。
- 今後、十勝・帯広とどこでどう関わっていくのか伺う。
- 16年前と今で、年齢と体力的なこと以外で、一番変化を感じた部分はあるか。
- 4期16年を漢字一文字で表すとどんな表現ができるか。
市長から(要旨)
1 退任にあたって
本日をもって退任をいたします。4期16年にわたりまして、まちづくりを進めてこられましたのはひとえに市民の皆様のご理解、そして、ご協力の賜物であります。
この場をお借りして深く感謝を申し上げます。どうもありがとうございました。そして、報道機関の皆様にも大変お世話になりました。ありがとうございました。
また、より良いまちづくりへの議論を重ねてきた市議会の皆さん、共に汗を流してくれた職員の皆さん、同じ方向を向いて力を合わせていただいた、十勝の皆さんに心からのお礼を申し上げるところであります。
たくさんの方々の顔、様々な場面が思い浮かびます。皆さんのお力添えがなければ、本日まで市長の職を全うできなかったのではないかと改めて感じているところであります。
皆様には今後も、心と力を合わせて、生き生きとして住みよいまちづくりにチャレンジを続けていってほしいと願っているところであります。
結びに、今一度、皆様に万感の思いを込めて感謝を申し上げ、退任の挨拶とさせていただきます。本当にありがとうございました。
記者との質疑応答
<十勝毎日新聞>
16年間の市政について自己採点するとしたら。継続事項を含め、懸案事項があれば伺う。
<市長>
市政の自己採点については、月並みだが及第点はいただけたのではないかと感じている。現在の懸案事項については、今回の選挙で掲げた公約が私にとっての懸案事項だということで選挙に臨ませていただいたので、そちらを参照いただければと思う。
<北海道新聞>
退任するにあたり、改めて現在の率直な気持ちを伺う。
<市長>
現在の気持ちとしては、一つの区切りだと感じている。道は閉ざされたのではなく、新しい道が開かれたのだと感じている。私のような凡人にとっては、私なりの出処進退のあり方だったとも感じている。
<北海道新聞>
4期16年を振り返り、自身の市政運営でこだわってきたこと、力を入れてきたことを伺う。
<市長>
今朝もいろいろ考えて振り返ってみたが、私が市長になる前の民間企業にいた頃は、ちょうどピーター・ドラッカーが流行っていた時期があった。以来、ドラッカーの言葉を職員の皆さんや町村会の皆さんと共有してきた。
今改めて振り返ると、ドラッカーの言葉で、「本質において一致、行動において自由、すべてにおいて信頼」を、市職員の皆さんとの関係性においても、市町村長の皆さんとの関係性においても、私はこの言葉を原則としてやってきたということ。
リーダーシップについてのコメント、ご批判もいただいたが、私の基本的なスタンスは、今申し上げた「本質において一致、行動において自由、すべてにおいて信頼」を、それぞれの関係性の中でどうつくりあげていくかということを、ずっと真ん中に置いてやってきたということだと思う。
<NHK>
4期16年の中で、一番思い出に残っていることは何か、今後の帯広市に期待することを伺う。
<市長>
実はいっぱいある。この質問をいただくと思い、朝から考えていた。あえていえば、19市町村で一体となった動きを重ねることができたことが質問への回答と考えていたが、今日の朝、職員の皆さんが私の部屋に来て、かけていただいた言葉や思い、おそらくこれが一番の思い出だと思う。
それから、今後の帯広市に期待することについては、東北海道の中核都市として、ますます存在感を高めていただきたいと思うし、当たり前だが日本の食料基地、いわゆる食料安全保障を担う、豊かで前向きで、品格のある地域として発展していってほしいと感じている。
<十勝毎日新聞>
16年の市政運営で一番うれしかったこと、やってよかったこと、達成できたものはあるか。
<市長>
個別の仕事の成果についてはたくさんある。例えば、消防の広域化や厚生病院の建て替えの際に、町村とどのように支援していくか足並みを一つにすることができた。
総じて言うと、健康で事故なく、16年間務めることができたことだと思う。市長になるとき、ある尊敬する先輩から「公約に書いていなくても、市長の公約の最初に“健康であること”という約束がある」と言われたことを覚えており、そういう面では健康でいられたと思っている。
私は出張のない日は、毎朝7時30分に登庁した。そして、職員の始業前に当日の資料や書類にすべて目を通して、コメントができるよう準備しておくことが市長の務めだと考え、その準備を16年間、日課としてきた。これは私の独りよがりだが、対応してくれた秘書課の皆さんには本当に頭が下がる思い。退任する直前に頭を下げて帰ろうと思う。
もう一つ、4期16年でいろいろなコメントもいただいたが、市長コラムを続けることができた。文才もない者が、わかったようなことを書いてきたが、続けることができ、市民の皆さんから「毎回楽しみにしている」「広報紙が届いたら最初に読む」といっていただいたことがある。
総じて、健康であったからこそ続けられたことだと思うし、市長コラムに協力してくれた広報広聴課の皆さんには大変感謝している。
自分の成果というのは、ほとんど職員の涙の後ろにあるものだと感じている。ここで改めてお礼を申し上げる。
<北海道新聞>
4期16年を振り返り、最もつらかったことはなにか伺う。
<市長>
やはり先輩や仲間、それから職員、家内の両親も含め、16年間という時間の中で多くの方々を見送ることになった時がつらかったし、そのタイミングが議会と重なると、家内の両親は東京にいたので、骨も拾いに行けなかったことが精神的につらかった。
これは人それぞれ感じ方があると思うが、私は議会を大切にしてきたし、議会に敬意を払ってきた。多くの皆さんが関わり、動いている仕組みでもあるので、できるだけ私的なことは持ち込まないようにしてきた。
そして、精神面でつらいと感じたもう一つは、16年間一緒に働いてきた職員が病に倒れたとき、これは本当につらいものがあった。つい最近もあったがこればかりは仕方がないこと。
あとは肉体的なこともあった。実は若い頃からひどい腰痛持ちで、代表質問や一般質問の当日の朝、ぎっくり腰を発症したことが何回もあった。本当に痛いが、登壇しなければいけない、市長が休むと議会を開くことができないといった中で、脂汗をかきながら何とか乗り越え、4期16年、一度も欠席することなく市議会に迷惑を掛けなかったということが肉体的につらかったこと。
<日本経済新聞>
民間企業の経営者だった市長からすると、市の行政職員の働き方や組織運営は、非効率な部分も見えたのではないか。16年を経て分かったことがあれば伺う。また今後、民間企業から首長を目指す方にアドバイスがあれば。
<市長>
民間から行政に来て、最初に戸惑ったのは時間の流れ。時間に対する感覚や物事を進めるための時間軸が明らかに違った。私がいた金融機関では、週次で決算をしており、最後は日次で決算までやり、それを証券取引所に提出しなければならない。株価の変動もあって毎日ピリピリしていた。
ところが、この仕事に就いてみると、物事を進めるスピードが一見遅く感じた。出てくる回答やアクションをもどかしく感じる時期が最初の頃はあったが、質問にあるとおり、行政なりの理由があると全体として気づいた。
民間はリスクを取って、そのリスクに見合うリターンを実現していくのが基本だと思う。一方で、行政は取るリスクと取ってはいけないリスクがあり、そもそもリスクの種類が違う。行政経験のない新米市長の頃は目を白黒させていたが、途中から理解し、皆さんに教えていただきながら16年間やってこられた。どちらが良いという話ではない。
民間から見ると遅い、変化がないといった批判を目にしたり耳にしたりするが、私は違うと思っている。職員は極めて優秀で、早い作業をしようと思ったらできる人たち。仕事の質や中身が違う。だからそこを勘違いしたまま、もし私のようなキャリアの人間が首長になったら、最初はうなされて眠れなくなるかもしれない。私はおかげさまで早めに気づき、何とか16年もったと思っている。
<日本経済新聞>
これからのこの地域の課題に対して、こう変わっていく必要があるのではないか、また、変わっていくと良いと思っているのはどういう点か。
<市長>
それについては、私は今、コメントする立場にはないと考えている。これは次の市長が担うべきことだと思うし、私自身はこの地域の限りない発展を期待し、祈っている立場になったのだと思っている。
この地域が持つ歴史や文化、資源。資源の中には人材も含まれるが、これらは日本でも一級品だと思う。ぜひこれからも一級品の資産を有効活用して、日本に冠たる地域づくりを進めていただきたいと思っている。
<読売新聞>
米沢市長が提唱してきたフードバレーとかちについて、今後、どうなってほしいのか。
<市長>
「フードバレーとかち」については16年間取り組み、ここ数年は十勝・帯広に対する期待感の高まりや、今回の選挙戦においても、フードバレーとかちを評価するとの声もいただいた。そういう面では、あくまで「旗印」なので、言葉そのものにこだわる必要はないと思う。新しいリーダーが、別の言葉を使うとしても構わないと思っている。
また、今回の皆さんの公約を拝見すると、フードバレーとかちが目指してきたものが、それぞれの言葉で書かれていると認識している。そういう意味でも、まちづくりは、地域が持つ資源や文化、歴史を踏まえて進めていくものだと思っている。私は名称自体にはこだわらないが、この地域を発展させていくうえでは、そうせざるを得ないのではないかと思っているので、継続的に頑張ってほしいと思う。
<読売新聞>
市長ご自身のこれからについて伺う。
<市長>
私自身のこれからについて、あえて言えば、今70歳で新しい道が目の前に開けたのだとしたら、少なくとも10年先くらいを見据えて、自分で動き始めるのではないかと思っている。もし市長を続けていたとしたら、考えるのは向こう4年間だったと思う。「4年で集大成」と言ってきたので、命がけで4年間にかけるつもりだったが、今回、その道は閉ざされた。
ただ、私の人生そのものが閉ざされたわけではないし、まだ若いので、「新しい道を自分で開いていけよ」という天命なのではないかとも感じている。楽しみだなと思っている。
<読売新聞>
何か具体的な動きはあるのか。
<市長>
それはないが、今回かなり年齢のことを言われたので、「70歳も悪くない」と思ってもらえるような生き方をしてみたいと思っている。
<読売新聞>
新市長との引き継ぎは、対面でやり取りがあったのか。
<市長>
それは今のところない。
<北海道新聞>
市民と新市長へのメッセージをお願いしたい。
<市長>
市民の皆さんへのメッセージについては、冒頭に話したお礼ということに尽きる。
新市長へのメッセージについては、自分の言葉というよりも、市長になった際に書き留めていた、私の好きな塩野七生の本に出てくる言葉を引用して、メッセージにしたいと思う。
「政治家は、決めたら全てのことを実行しなければならないことはない。待った方がいい場合もある。もちろん、即決断して即実行しなければならない場合もあるが、待っていれば周りの環境の方が動いてくれるかもしれない」。
私自身も最初の市長になる前に、多くの公約を掲げた。どちらかというと、まだ知らないことまで言ってしまい、一度口にした公約は必ずやらなければならないという思いが、自分の中でかなりプレッシャーになった時期もあった。そのとき、実はこの言葉に出会った。
いろいろ言ったとしても、4年かけてもできないことが出てくる場合もあるかもしれない。マスコミの皆さんから「公約の達成率は何%ですか」といずれ問われることを気にせずに、明日から新市長になられるので、その時にはもう一度自分で考えて、優先順位を付けたうえで、帯広の限りない発展のために頑張っていただければと感じている。
<十勝毎日新聞>
今後、10年先を見据えて動くという話もあった。十勝・帯広とどこでどう関わっていくのか伺う。
<市長>
「10年先」と言ったが、これからはそういうスパンで物事を考えられる環境になるという意味で申し上げた。70歳でもまだ若いと思っているので、80歳までは動けるだろうと話した。
5月中は、これまでお世話になった方々、いろいろお力添えいただいた方々と話す時間を取りたいと思っている。一方で、帯広の住宅は賃貸住宅であり、当たり前だが人生で初めて無職になったので、できるだけ支出を減らしたいと考えており、二居住拠点はやめて自宅のある札幌に移ろうと思っており、これを5月下旬あたりにしようと考えている。
その後は仕事次第だが、仕事をして社会としっかり繋がっていきたいと思っている。仕事の拠点、あるいは中心がどこになるのか、東京か札幌か、十勝か帯広か、どこに住みたいかで決めるのではなく、「自分に何ができるか」で決めていきたいと思っている。
ただ、何の能力もないのに仕事は来ないので、これまでの経験や人間関係からまったく外れたところで、心機一転「ベンチャービジネスを始めます」ということはないと思う。北海道、そして十勝・帯広との関係性の中で、これからの人生を考えていくことになると思っている。
<十勝毎日新聞>
まだ決まってないということか。
<市長>
まったく決めていない。これまで忙しく生きてきたので、ゆっくり考えてみたいと思っている。
<十勝毎日新聞>
16年前と今で、年齢と体力的なこと以外で、一番変化を感じた部分はあるか。
<市長>
従前より寛容になったと思う。忍耐強さではないが、あまり心にさざ波が立たなくなったと思っている。
<北海道新聞>
4期16年を漢字一文字で表すとどんな表現ができるか。
<市長>
一期目にも書いたが「拓(ひらく)」。先ほども言ったが、新しく道が拓けたという気持ちもあるし、帯広市長を担う上では開拓者精神や、拓くという字は農業にも繋がり、やはりこの漢字が一番しっくりくると思った。
【以上】
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