振り返る帯広 第4回「合併後から開基100年まで」

Xでポスト
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページ番号1001417  更新日 2020年12月14日

印刷大きな文字で印刷

開拓130年市制施行80年を迎え、連載で帯広の歴史を振り返ります。

開拓130年市制施行80年記念連載 振り返る帯広

近代的な田園都市として

昭和30年代になると、わが国は高度経済成長期を迎え、帯広市においては近代的な都市基盤の整備が本格的に始まりました。市街地にあった、亜麻工場、農業試験場、裁判所、刑務所の広大な跡地は、官公庁街、卸売団地、住宅地、学校などになり、現在の市街地の骨格が形成されました。また、西帯広の水田地帯に、公害のない「緑の工場公園」を目指した工業団地の造成が行われ、市街地に混在した工場などの集約、新規工場の誘致など、第二次産業の振興が図られました。昭和50年には、都市部を緑のベルトで囲む「帯広の森構想」に基づく事業が始まり、市民の参加により、今日まで約23万本の樹木が植樹され、市民手作りの森が造られてきました。農業分野では、冷害による離農者の増加、機械化の進展などから、大規模化が進むとともに、豆類中心から、秋まき小麦、バレイショなど冷害に強い作物も導入され、現在の輪作体系が確立し、日本を代表する大規模畑作畜産地帯となりました。こうして、帯広市は道東の拠点都市として目覚ましい発展を遂げていくことになります。

帯広市総合計画

昭和34年、まちづくりの総合的な指針となる帯広市総合計画を、全国に先がけて策定しました。策定にあたっては、各種団体や多くの市民と議論を重ね、都市像「明るく豊かな住みよい近代的田園都市」を決定しました。これは、昭和44年の地方自治法改正による市町村の総合計画策定義務化よりも10年も早い先駆的な取り組みでした。

表紙:帯広市総合計画
全国に先がけて策定した「帯広市総合計画」

この市民協働のまちづくりの手法は、現在の第六期帯広市総合計画まで受け継がれてきています。

二世紀への歩み

昭和57年には、開基100年・市制施行50年を迎え、記念式典が盛大に執り行われました。記念事業として、百年記念館の建設や、旧帯広空港跡地での北方圏農林博覧会(通称、十勝博)などが開催され、多くの市民と共に新たな時代の到来を祝い、二世紀への飛躍を誓ったのです。

このページに関するご意見・お問い合わせ

総務部総務室総務課総務係
〒080-8670 帯広市西5条南7丁目1番地
電話:0155-65-4100 ファクス:0155-23-0151
ご意見・お問い合わせフォーム