振り返る帯広 第2回「”帯広市”誕生」
開拓130年市制施行80年を迎え、連載で帯広の歴史を振り返ります。
十勝最初の町から市へ
明治35年、下帯広村外八村は、十勝で最初の町、帯広町となりました。その後大正に、伏古村の一部を編入し、人口約八千五百人となり、帯広区裁判所、競馬場の移転を契機に発展を続け、昭和8年4月に、道内7番目の市、帯広市が誕生しました。
「豆の王国」十勝
当時の十勝の農業は、度々凶作に見舞われ、不景気とも重なり、離農者が後を絶ちませんでした。
しかし、大正3年に、第一次世界大戦がはじまり、ヨーロッパの食糧が不足となった頃の帯広では、釧路線(現在の根室本線)の開通により、小樽港を経由した豆類の輸出が増大したことから、豆景気に沸きました。
これまでの自給自足的な開拓農家は、自信を持って、農業に従事することができるようになりました。それと同時に、人力から馬を使った畜力化により、規模の拡大が進み、農業は一段と進歩を見ることとなりました。
鉄道開通と商業都市の形成
明治38年に帯広釧路間、更に明治40年に帯広旭川間の鉄道開通が、帯広発展の要因となりました。
さらに、士幌線、広尾線、十勝鉄道が、それぞれ開通し、十勝は、雑穀を主力とした移出作物生産地としての基礎を築き、帯広町は十勝の農産物集散市場、商業中心地となりました。このことにより、旭川や釧路を取引場所としていた雑穀商が、帯広に進出し、「商業都市」としての発展がはじまりました。
昭和5年頃には銀座街(現在の平原通り商店街)、夜店通り(現在の広小路商店街)の商店街が形成され、今日の帯広の中心地のようになってきたのです。
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