第九章 合併以後(昭和32年以降)

第五節 経済の発展

第一次産業

 昭和30年(1955)代に、馬と人力に頼る農業からトラクターなどの機械化農業へと転換を始めたが、これはまさに大変革であった。関連しているのは、36年の農業基本法の制定である。経営規模の拡大化と技術革新等が進められたが、同時に離農が増大し農村地域の過疎化が進行した。

 反面帯広市をはじめ、その近隣の町の人口は増加した。また、帯広工業団地造成のために、かつての西帯広水田地帯はその姿を失っていった。帯広市の産業別人口比率の推移では、第一次産業の就業人口が35年に19.7七パーセントであったのが、平成7年(1995)には4.5パーセントにまで低下した。

 明治後半以降、十勝の豆類作付面積が全耕地に占める比率は圧倒的に高く移出商品として重要な位置を占め、帯広・十勝発展の要因となっていた。しかし、豆作の弱点は冷害に弱いことであり、昭和30年代中ごろからその作付面積の比率は減少に転じた。反面、冷害に強い馬鈴薯(じゃがいも)・甜菜などの根菜類が大幅な増反に向った。

 また、50年(1975)代に入ってからは、最も省力化の進んだ小麦の生産が激増、さらに野菜が増加してきた。そして、家畜では肉用牛の増加率が最も著しく、また乳牛の農家1戸当たりの多頭化も一層進行した。57年には、大規模公共育成牧場として八千代牧場が完成し、帯広市内の酪農家にとっては多頭飼育に役立つことになった。

 59年(1984)には、帯広市が十勝管内農業粗生産額の中で約12パーセントを占めて1位となり、農業母都市の地位を確保した。同年には、十勝の農業粗生産額は初めて2千億円を突破、その後もこの記録を保持し続けた。そして、十勝圏の農家1戸当たりの粗生産額は全国上位に入り、十勝はわが国の代表的な畑作・酪農畜産地帯となった。

 十勝全体としては、寒冷地農業的(北米北欧的農業)性格が著しく強化され、かくて農業構造改善事業等による嵐のような変革を進めた十勝の大地は、さらに十勝の政治・経済・文化の中心地帯広を育ててきた。

十勝における馬の頭数と
トラクター台数の移り変わり

十勝における馬の頭数とトラクター台数の移り変わり

人力から機械化へ

第二次産業

 昭和37年(1962)から“公害のない緑の工場公園”を標榜(ぼう)して西帯広に帯広工業団地の造成事業が進められ、配線器具製造の松下電工株式会社などが入居、53年(1987)には造成15周年記念式典が執り行われた。

 その後、60年には帯広丸和製作所がプリント基盤の一貫製造ラインを完成、同年十勝畜産公社の食肉処理施設増設工事完了、六花亭製菓株式会社の工場増築等々、帯広工業団地は帯広の工業の中核としてその発展が期待された。

 また、歴史の古い日本甜菜製糖株式会社帯広製糖所は廃止されて西帯広の工業団地に近接する芽室に移設、52年に同芽室製糖所と改められ操業を開始した。この工場は、米国やフランスで普及していた濃厚汁製糖法を導入したのが特色である。

 平成9年(1997)には、カルビーポテトの帯広工場が別府町に完成、馬鈴薯(じゃがいも)を原料に菓子やマッシュポテトの製造を開始して農家にも歓迎された。同年の帯広市の製造品出荷額の一位は食料品(45.1パーセント)であり、二位は電気機械(14.6パーセント)であった。また11年(1999)ころから明治乳業十勝工場(帯広市)のカマンベールチーズの生産量が増加し全国展開を始めた。

 なお、平成6年の十勝管内の公共工事保証請負額は、十勝の農業粗生産額に匹敵する約2,000億円であり、改めて十勝経済のけん引であることが浮き彫りにされた。ただし、10年(1998)度の公共工事保証請負額は過去最高の約2,100億円であったが、11、12年度は道などの財政圧縮の影響で1,700億円台にとどまった。

 帯広市の第二次産業は、農産物加工工業・農業関連機械工業と建設業を基軸にして精密機械工業等も加わっており、平成7年(1995)における第二次産業の就業人口の比率は23パーセントであった。

帯広工業団地

帯広工業団地

第三次産業

 昭和50年(1975)、市街中心部に「イトーヨーカ堂」(西3・4条南9丁目)が開店し、55年には広小路商店街の全蓋式アーケードが完成した。翌年、再開発ビルのふじまるビル(西2条南8丁目)が竣工し、36年(1961)西2条南9丁目に移転した藤丸百貨店がまた元の位置に戻って57に開店、近代化が一層進んだ。

 駅南には、54年「ニチイ」(西5条南20丁目)が開店して後「サティ」さらに「ポスフール」と改称した。平成2年(1990)に「長崎屋」(西4条南12丁目)の大型店の出店があり、商店は市街の南方と西方へ広がりだした。昭和60年(1985)前後には、景気低迷のため帯広・十勝でも大型倒産が続発したが、63年ころから好況期に入りバブル景気に浮かれた。しかし、それは平成4年ころに破綻して不況期に入った。

新しい藤丸百貨店オープン(昭和57年3月)

新しい藤丸百貨店オープン(昭和57年3月)


 平成元年には、グリュック王国がオープンしたが、その4年後の1年間の同園への総入園者数は、約70万人にものぼった。また、6年(1994)に帯広の森で開催された全国農業機械展と十勝ステーツフェアの入場者数は、約20万人にも達している。さらに、十勝毎日新聞社主催の12年(2000)8月13日の全道トップの規模を誇るといわれる第51回勝毎花火大会では、管内外を問わず多数の人が訪れ、過去最高の観客数約13万人にも及んだ。

 6年ころからは、音更町木野方面が大型店などの相次ぐ出店もあって一大商業ゾーンに生まれ変わった。また、9年には「長崎屋西帯広店」、翌年には「イトーヨーカ堂稲田店」(西3・4条南9丁目店は閉店)がオープン、市街の西方と南方、さらに音更町木野方面および札内地区へ商業地と住宅地等が一層拡大した。反面、市街中心部の歩行者通行量は減少の一途をたどったが、大型ホテルは相次いで開設され競争激化が心配された。9年に北海道拓殖銀行は、巨額な不良債権を抱えて破綻(はたん)し経済界は打撃を受けたが、翌年北洋相互銀行と中央信託銀行にその営業権が譲渡された。

 なお、平成7年には、帯広市の第三次産業の就業人口の比率は71.9パーセントを占め(注、昭和35年は62.4パーセント)、帯広は十勝農業を基盤とした物流拠点都市、商業・運輸・金融・サービス業などの都市としての性格を一層強めた。

平成12年(2000)道内都市人口数ベスト10(国勢調査による)

1 札幌市 1,822,368人(65,343人)
2 旭川市 359,536人(▼1,032人)
3 函館市 287,637人(▼11,244人)
4 釧路市 191,739人(▼7,584人)
5 帯広市 173,030人(1,315人)
6 苫小牧市 172,086人(2,758人)
7 小樽市 150,687人(▼6,335人)
8 江別市 123,877人(8,382人)
9 北見市 112,040人(1,588人)
10 室蘭市 103,278人(▼6,488人)

(注)カッコ内は平成7年比較増減、▼減。


十勝管内・帯広市の人口推移
(国勢調査開始以来)
(注)昭和32年川西・大正村と帯広市合併

帯広圏1市3町(帯広・音更・幕別・芽室)の人口推移

十勝管内・帯広市の人口推移(国勢調査開始以来)(注)昭和32年川西・大正村と帯広市合併 帯広圏1市3町(帯広・音更・幕別・芽室)の人口推移

第六節 地方拠点都市、帯広圏

国際田園都市圏

 平成5年(1993)に、帯広市・音更町・幕別町・芽室町の帯広圏一市三町が、地方拠点都市に指定された。早速、帯広圏地方拠点都市地域協議会が設立され、都市圏と農村圏の広域機能連携による先進的「国際田園都市圏」の形成を将来像とした基本計画(平成5年度から14年度まで)が策定された。地方拠点都市法の目的は、東京の一極集中を排除するため魅力ある地方圏を整備しようとするものである。

 隣接地音更町の南部と幕別町の札内および芽室町に、土地を求めて住宅を入手する帯広市民も多く、またそこは商業化、ところによっては工業化が一層進んできた。平成12年(2000)に策定した「第五期帯広市総合計画」の中では、まちづくりの目標のひとつに“広域連携都市”を掲げ、主要な施策として“中核都市圏の振興”を謳(うた)っている。

広域行政

 平成7年、十勝中部広域水道企業団(帯広・音更・幕別・芽室・池田・中札内・更別の7市町村で構成)は、札内川上流の表流水を水源とする中札内村の「なかとかち浄水場」で上水道用水の供給を開始した。10年(1998)7月には、待望の水源札内川ダムが竣工している。昭和52年(1977)に道による十勝川流域下水道事業(帯広・音更・幕別・芽室)が開始され、一段と処理地域が拡大された。この浄化施設の管理は十勝環境複合事務組合で行っている。さらに、ごみ処理やし尿処理も、同組合で行っており、いわゆる広域行政的な施策が多分野で実施されている。

 なお、十勝総合開発促進期成会は平成11年7月、名称を十勝圏活性化推進期成会と改め、新会長に帯広市長(砂川敏文)を、旧期成会発足以来初めて選出した。

第七節 親善交流

姉妹・友好都市提携

 国内および国際親善交流については、昭和43年(1968)に帯広市は、アメリカ合衆国の北方圏アラスカ州スワード市と国際姉妹都市の提携を結び、次いで53年(1978)には、依田勉三生誕の地であり、晩成社結成地である静岡県賀茂郡松崎町と開拓姉妹都市の縁を結んだ。

 さらに、同年帯広観光協会が縁結びをした徳島県徳島市とは、観光姉妹都市を経て57年に産業文化姉妹都市となり、また大分県大分市とは、空港姉妹都市(41年)から観光・文化姉妹都市(平成4年)になった。平成12年(2000)に帯広市は、中華人民共和国遼寧(りょうねい)省の朝陽市と約15年間の交流を経て、さらに友好を促進しようと国際友好都市提携の調印を行った。

 帯広青年会議所(帯広JC)は、昭和56年にカナダのアルバータ州エドモントン市のJCと姉妹JCの調印を行い、さらに平成12年に台湾の北投JCと姉妹提携の調印を行った。帯広第一中学校は、4年(1992)にカナダアルバータ州のウッドヘブン中学校と姉妹提携協定書にサインしている。このような関係に関連した様々な親善のための行事や、そのほかの友好親善の行事がこれまでに実施されてきた。

国際交流の拠点

 なお、平成8年4月には、国際協力事業団(JICA)北海道国際センターが西20条南6丁目にオープン、世界各国からの研修生が宿泊、研修することになった。隣接して同日オープンした帯広市の地域交流施設「森の交流館・十勝」とともに、国際交流の拠点として期待が高まっている。また帯広市は、国際親善交流基金によって市民に北西ヨーロッパ諸国を訪問させている。このように、国内および国際親善交流の輪は、年々深められてきた。

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