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語り継がれた帯広の歴史
蝦夷地(北海道)には既に先住民のアイヌの人々が、独自の文化を築いていました。
十勝の開拓は、北海道に多く見られる官主導の屯田兵によるものではなく、晩成社をはじめ、富山、岐阜など本州からの民間の開拓移民により進められました。
昭和8(1933)年には市制が施行されました。
帯広の幕開け
蝦夷地(北海道)には既に先住民のアイヌの人々が、独自の文化を築いていました。
南部の渡島半島から始まった和人の進出は、江戸時代に入ると漁場確保やアイヌの人々との交易のために沿岸全域に広がりました。
そうした中、寛政12(1800)年に皆川周太夫が帯広に足を踏み入れ、内陸部の様子を記録に残しました。
続いて安政5(1858)年には松浦武四郎がアイヌの人々の道案内で詳しく調査し、将来有望な地であることを「十勝日誌」で紹介しました。
明治2年(1869)、蝦夷地は北海道と改称され、十勝国(現在のほぼ十勝支庁域)を創設。帯広の前身の河西郡下帯広村が誕生しました。
晩成社と開拓移民
帯広の本格的な開拓は、依田勉三と鈴木銃太郎が調査に入った翌年の明治16(1883)年5月に依田勉三の率いる「晩成社(明治15年1月、現在の静岡県松崎町で結成)」一行27人が、下帯広村に入植したことから始まります。 |
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市街地の誕生
晩成社が帯広に入植した10年後の明治26年には、現在の国道38号沿いに集落が形成されました。
その後明治28(1895)年、北海道集治監十勝分監の開庁とともに受刑者によって大通(当時は監獄道路と呼ばれた)が整備され、市街地誕生の基礎となりました。
以後下帯広村は、明治35(1902)年に十勝で最初の町となり、昭和8(1933)年には市制が施行されました。
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