ふるさと見聞録−アイヌの人々の生活

 「広報おびひろ」でほぼ毎月、帯広の自然や歴史について紹介しているコーナーです。
 本ページでも掲載しており、ご覧いただけます。

伝承の中のセミ 広報おびひろ平成29年6月号

 初夏の到来を告げるエゾハルゼミ。夏の盛りを謳歌するコエゾゼミやエゾゼミ。晩夏まで小さな声で鳴くエゾチッチゼミ。帯広で見られるセミは主にこの4種類で、アイヌ文化における伝承によく登場します。アイヌの人々は種類で区別せずに、どれも「ヤキ」や「ヤーキ」と呼んでいました。十勝の伝承では、「セミを絶対に家の中に入れないように」と火の神に告げられたと伝えられています。火の神はアイヌと他の神との仲立ちをする大切な存在なので、火の世話がおろそかになってはいけないとされています。セミが家の中に入ると、気をとられて火の管理が粗末になったり、絶やしてしまうことを戒めているのです。また本別町では、セミに育てられた人間の孤児が、後にクマ狩りの名人となったので、クマを捕ったときにはクマの神だけではなく、セミの神にも感謝して酒を供えたと言い伝えられています。人とセミにかかわる話は十勝だけではなく、千歳などいくつかの地域にもあります。中にはセミの鳴く時間が、人間の活動時間である朝から夕方と同じことから、セミはもともと人間であったとの伝承もあるほどです。昔のアイヌの人々がセミを身近に感じていた様子がうかがえます。

セミ
セミ 

 

豊漁を占う 広報おびひろ平成28年10月号

 北海道の秋の風物詩のひとつに、サケの遡上があります。
 アイヌ語でサケのことを、シペ(「本当の食べ物」の意味)やカムイチェップ(「神の魚」の意味)といいます。秋に漁獲シーズンを迎え、冬の保存食にも最適なサケは、かつてのアイヌの人々の生活に欠かせない大切な食料でした。そのため、季節の移ろいや自然現象からサケの豊漁を占う伝承が各地で伝わっています。例えば、昭和26年の足寄での記録には、ホザキシモツケの花が散りかかるとサケが遡上し始めたとあります。
 昭和34年の芽室太での記録には、星にまつわる占いがあります。それは「天の川の中にたくさんの星をみることができれば豊漁、少なければ不漁」とされています。また、「天の川がはっきりすると豊漁、ぼやけると不漁」というものもあります。
 皆さんも周りの自然環境を注意深く観察すると、何か新しい発見があるかもしれません。

ホザキシモツケの花
ホザキシモツケの花

カッコウの知らせ 広報おびひろ平成27年4月号

 カッコウ(カクコク)とツツドリ(トゥトゥク)は、アイヌ文化では夫婦とされ、神の国で魚たちが入っている家を守り、暮らしているといわれています。
 春に神の国から人間の国に飛び立つ際、男神のカッコウ(夫)が先か、女神のツツドリ(妻)が先かによって、豊漁か不漁かが決まります。
 夫が先に飛び立った場合、妻は最後にきちんと戸を閉めるため、魚たちが家から出られず不漁となります。反対の場合、夫は戸口をろくに閉めずに妻の後を追うため、魚が戸口から出やすくなり豊漁となります。
 そのためツツドリがカッコウより先に鳴く年は、豊漁になるとして喜ばれました。
 その他にも、各地でカッコウに関する伝承が残されています。▽夜に鳴くと村に変事が起きる(本別町)、▽村の近くで鳴く年は豊作、山奥で鳴く年は凶作(虻田郡)
 春になったら、カッコウのさえずりに耳を澄ませて、吉凶を占うと楽しいかもしれません。

カッコウ
カッコウ

星で時を知る 広報おびひろ平成25年12月号

 アイヌ語で星のことをノチウといいます。アイヌの人たち独自の星座の考え方があり、いろいろな名前が付けられ、多くの伝承も残っています。
 例えば、十勝のアイヌの人たちは北斗七星をイワンノチウといいます。これは「6つの星」という意味なので、同じ星座でもちょっと違った見方をしていたのかもしれません。
 また、オリオン座の三つ星はレネシクルといい、「3人の人」という意味になります。
 ニサッサオッノチウは明けの明星、金星を指します。これは「夜明けから逃げる星」という意味で、かつてアイヌの人たちは、猟などへ出かけた際にこの星を見て、夜が明ける時間になったことを知ったそうです。そして、この星が出たら朝食などの支度を始めました。
 このように、アイヌの人たちにとって星は、時を知るためのものでもありました。

 アイヌの人々の生活139 星で時を知る

イワンノチウ(北斗七星)

かつては十勝川にも遡上(そじょう)チョウザメ 広報おびひろ平成25年6月号

 チョウザメといえばその卵である高級食材のキャビアが有名ですが、かつてこの魚が十勝川にも遡上していました。
 アイヌの人たちはチョウザメをユペと呼び、捕獲して食料としていました。
 実は、晩成社の人たちもチョウザメを捕獲していて、例えば、1886(明治19)年6月1日の渡辺勝の日記には、札内川でアイヌの人たちと一緒にチョウザメを9匹捕ったと記されています。おそらく、アイヌの人たちに捕獲方法や食べ方などを教えてもらいながら、漁をしていたのでしょう。
 また、1888(明治21)年6月15日の鈴木銃太郎の日記には、奥さんと一緒に札内川でチョウザメ漁を見物したと書かれています。
 かつてはちょうど今頃に十勝川に遡上したチョウザメですが、河川環境の変化などによってその姿はもう見ることはできなくなってしまいました。

エゾシカ写真

チョウザメ
(剥製/浦幌町立博物館所蔵)

シカはどこからやってくる? 広報おびひろ平成25年3月号

 アイヌの人たちが伝統的な暮らしを営んでいた頃、シカは重要な食料資源であり、また生活用具の材料となる毛皮や角などをもたらすものでした。
 では、このシカがどこからやってくるとアイヌの人たちは考えていたのでしょうか。
 アイヌの人たちは、シカはカムイ(神)の世界から人間の世界に降りてくると考えていました。カムイの世界にはユカッテカムイ、あるいはユケランカムイと呼ばれるシカを降ろすカムイがいて、そのカムイがシカの骨を地上にまくと骨がシカの姿に変わって降りてくるのだそうです。
 本別ではユケランヌプリという山にシカが降りてくると言われ、そのときには、ドーンという大きな音がして、シカが踊りながら山に降りてくるという伝承が残されています。

エゾシカ写真

カムイの世界からやってきたエゾシカ

クロユリ 広報おびひろ平成25年1月号

 「クロユリ」は、ユリ科、バイモ属の花で、帯広市の花となっています。

 日高や十勝に多く見られ、林の中のやや日陰で湿り気のある土地を好みます。クロユリは、紫がかった黒色の花びらで、独特の悪臭があります。これが花粉を運ぶ虫を引き寄せると言われています。
 走査電子顕微鏡では悪臭を写すことができませんが、ユリ科特有の花粉の形を見ることができます。
 アイヌ伝説に、好きな人への思いを込めたクロユリをそっと置いて、相手がそのクロユリを手にすれば、二人はきっと結ばれるというのがあります。クロユリは目立たない花ですが、恋人たちを幸せにする花だと伝えられています。花言葉は「恋、呪い」です。
 緑ヶ丘の野草園では、野生のクロユリを見ることができます。暖かくなったら、ぜひお越しください。

クロユリ

野草園のクロユリ


クロユリの花粉

クロユリの花粉(2000倍)

シントコ 広報おびひろ平成24年12月号

 かつてアイヌの人たちは、本州などとの交易や漁場労働の対価として、鍋や小刀などの鉄製品や木綿、それに漆器など多くの外来品を入手していました。この中の一つにアイヌ語でシントコと呼ばれる容器があります。これはもともと本州などで作られた漆器の類で、外出時に食べ物や衣類などを入れて運ぶための「行器」や貝合わせという遊び道具を入れる「貝桶」がアイヌの人たちの中に入ったものです。
 アイヌの人たちは、このシントコの中に別な漆器類を入れたり、穀物を入れたり、あるいは儀式の際などには、お酒を入れたりしていました。また、それ自体を宝物として大切にしていて、家の奥角に並べていました。このため、その所有数が多いほど繁栄した家であることを示すバロメーターにもなっていました。

シントコ(行器)

シントコ(行器)

カシワの木の伝承 広報おびひろ平成24年9月号

 カシワは十勝・帯広の人たちにとって親しみのある木の一つです。アイヌの人たちもカシワをコムニシリコロカムイと呼び、大地をつかさどる神様として大切にしていました。
 帯広では、このカシワの木が洪水の時にアイヌの人たちを救った話が伝えられています。
 昔、家も木も流されるほど十勝川が氾濫した時のことです。帯広のアイヌの人たちは丸木舟で避難しようとしましたが、途中で流されそうになりました。しかし、一本のカシワの木が流れずに立っていたのを見つけ、そこに何隻もの丸木舟をつないで助かることができました。そして、その後はその木に感謝の祈りをささげるようになったと伝えられています。伝承によると、そのカシワは東2〜 3条南12丁目の旧柏小学校近くに立っていたそうです。

カシワの木 

カシワの木

カンチュウ 広報おびひろ平成24年3月号

 十勝には十勝川をはじめ、多くの川が流れています。アイヌの人たちにとって、川は自然の恵みを与えてくれる存在であるとともに、洪水などの災害をもたらすものでもありました。
 早春、突然暖かくなって雨が降るようなことがあると、水面が結氷している川に雨水が流れ込んで上流の氷が押し流され、下流の結氷しているところに集まると、そこに圧力がかかり、割れてはじけ飛ぶことがあったそうです。このとき、川底の石なども氷と一緒に飛び散ることがあって、非常に危険で恐ろしいものだったと伝えられています。このことをアイヌの人たちはカンチュウと呼んでいました。このカンチュウのお話は、利別川で伝えられていたものですが、昔は帯広の川でも起こっていたかもしれません。

水面が結氷した川 

水面が結氷した川

アワ(トイタアマム) 広報おびひろ平成23年12月号

 かつてアイヌの人たちは、狩猟や漁労、植物採集のほかに家の近くに畑を作り、アワやヒエ、イナキビなどの穀物の栽培も行っていました。幕末期に十勝を探検した松浦武四郎は、ヤムワッカピラ(幕別)のアイヌの人たちがアワ畑を作っていたと記録に残しています。
 このアワのことをアイヌ語ではトイタアマム(「耕作の穀物」の意味)、あるいはムンチロと言います。秋に実を付けたらカワシンジュガイで作った穂摘み具で刈り取り、乾燥させて保存します。食べるときには実を臼で搗(ひ)いて脱穀し、サヨと呼ばれるおかゆにして食べました。また、粉状にしたものからアワ団子も作っていました。
 帯広では、アワの種をまく様子をモチーフにしたエリリムセという粟(あわ)まき踊りが伝えられています。

トイタアマム といわれるアワ 

アイヌ語では
トイタアマム といわれるアワ

昆虫のアイヌ語名 1 広報おびひろ平成23年9月号

 昆虫のアイヌ語名は、鳴き声や形、生態などを元に名付けられていることが多いようですが、中には由来がよく分からないものもあります。
 コガネムシはルイキキリ と言います。キキリ は「虫」を指すアイヌ語ですが、ルイは「砥石(といし)」のことです。背中が光っていて砥石のようにツルツルしているからこのように名付けられたといわれています。
 ガはアペエトゥンペと言いますが、これは「火を借りるもの」という意味です。灯火にガが集まってくるのを見てこのように呼んだのでしょう。
 さて、オスのクワガタムシですが、アイヌ語でチクパキキリ と言います。これは「おちんちんを咬む虫」という意味です。なぜこのように呼ばれるのかその由来はよく分かっていませんが、十勝ではクワガタムシがクマとけんかしてクマのおちんちんにかみついて勝ったのでこう呼ばれるようになったというお話もあります。

 チクパキキリ

アイヌ語ではチクパキキリ と
いわれるクワガタムシ

アゲハチョウの幼虫は化け物? 広報おびひろ平成23年6月号

 アイヌの人たちにとって昆虫は伝承も少なく、ほかの生き物に比べても扱いは大ざっぱです。チョウの類にしても、飛ぶ時期によって季節の訪れを知らせるなどの伝承がある程度です。ところが、どういう訳かチョウやガの幼虫の一部は化け物扱いされ、とても嫌われていました。
 例えば、アゲハチョウの幼虫はアイヌ語で「ヘンピチケ」といい、見つけたらヨモギの茎で刺して川に捨てたり、ヨモギの束でたたいたりしたという話が伝えられています。ヨモギを使う理由は、この草はとても霊力が強いといわれていて、これで化け物を刺したり、たたいたりして殺すと、二度と生き返ることがないからと考えられていたためです。
 また、帯広のあるおばあさんは、この虫を家の近くで見つけたら、捕まえて遠くへ持って行って捨てていたそうです。

アゲハチョウの幼虫 

アゲハチョウの幼虫

札内川の伝説 広報おびひろ平成23年2月号

 札内川の名前は、アイヌ語で「乾く川」を意味するサッナイに由来します。なぜこのように呼ばれるようになったのかというお話が、アイヌの人たちの伝説に残されています。
 昔、この川の奥で鹿の大きな鳴き声がしたので、コタン(村)の人々が行ってみると一頭の大鹿がいました。日高からも人々が来ていたので、共同でその大鹿を捕まえて肉を分け合いました。ところが、この肉を運ぼうとしたところ、あまりの大きさになかなか運ぶことができませんでした。そこで川に入れて運ぼうとしましたが、肉が川をせき止めてしまい、一時水が流れなくなりました。それからこの川はサッナイと呼ばれるようになったそうです。
 また、札内川は冬になると戸(と)蔦(つた)別(べつ)川より上流の一部が涸れ(か)るので、このように呼ばれるというお話も残っています。

  冬の札内川

冬の札内川

イワキキンニとキキンニ 広報おびひろ平成22年12月号

 アイヌの人たちは病気の治療薬、あるいは病気のまじないなどにさまざまな植物を利用していました。
 秋深くまで赤い実が残っているナナカマドもその一つで、病魔払いのまじないとして木の枝を玄関や窓の横に刺していたといいます。
 この木はアイヌ語でイワキキンニと言います。これは「山地のキキンニ」という意味です。では単に「キキンニ」という名の木があるかというと、実はエゾノウワミズザクラのことを指します。このようにアイヌ語にはある動植物の名前に別な言葉が付くことで、まったく別なものを指すことがあります。
 このキキンニも風邪を引いたときに使われる木ですが、風邪でのどが腫れたときなどに枝を鍋に入れて煮立てて、その上から着物をかぶって湯気を吸うと腫れが引くといわれていました。

 イワキキンニ(ナナカマド)

イワキキンニ(ナナカマド)

キキンニ(エゾノウワミズザクラ)

キキンニ(エゾノウワミズザクラ)


サケを司るカムイ 広報おびひろ平成22年9月号

 秋になると、昔は十勝川にたくさんのサケが遡上しました。サケはアイヌ語でカムイチェプ、「神の魚」と呼ばれ、アイヌの人たちにとって大切な食料資源の一つでした。
 ところで、アイヌの人たちは、カムイ(神)はクマのカムイでもスズメのカムイでも個々に独立した「神格」を持ったものと考えていました。
 でも、サケとシカだけはそれを支配するカムイが別に存在すると考えていたようです。このサケを支配するカムイをチェパッテカムイといいます。
 チェパッテカムイは大きな袋を持っており、この袋の口を開けるとそこからたくさんのサケが流れ出て、カムイの国から人間の世界へサケがやって来るといわれていました。
 物語には、サケを人間が粗末に扱ったため、サケの魂が泣きながらチェパッテカムイの元に帰ってきたので、カムイが怒ってサケを下ろさなくしたため人間がとても困ったというようなお話も伝わっています。

 カムイチェプ(サケ)

カムイチェプ(サケ)

 

チピヤク(オオジシギ)の物語 広報おびひろ平成22年6月号

 春になると上空から大きな羽音を出しながら急降下してくる鳥を見かけます。この鳥ははるか遠くオーストラリアなどから渡ってくるオオジシギという鳥です。アイヌ語では「チピヤク」といい、鳴き声に由来するといわれています。
 この鳥は物語に登場することがあることから、比較的身近な鳥だったのでしょう。例えばこんな物語が伝えられています。
 あるときチピヤクが天の神から用事を言いつかって人間の国へやって来ましたが、あまりの美しさに遊びまわってすっかり用事を忘れてしまいました。
 ようやく用事を思い出し片付けて天に帰ったところ、神から「もう帰ってくるな」と怒られてしまい、しかたなく泣きながら地上に降りて来ました。
 それで、今でも帰りたくて天に向かうのですが、帰ることができずに、また泣きながら地上に降りてくるのだそうです。

チピヤク

チピヤク

 

雪のカムイの物語 広報おびひろ平成22年3月号

 アイヌの人たちの物語ジャンルのひとつであるオイナ(神謡)には、いろいろなカムイ(神)が登場します。十勝に伝承されているオイナの中に雪のカムイが登場する物語があるので、紹介したいと思います。
 ある日、雪のカムイが雪はね具を使ってひどく雪をはね飛ばしていると、人間の村が大吹雪になって今にも家々が飛ばされそうになりました。その様子が面白くて、さらに雪をはね飛ばしていると、そこにサマイクルカムイ(人間に文化を伝えた神)がやってきて、「手伝ってやるから、その雪はね具を俺に貸せ」と言ってきました。雪のカムイが貸したところ、サマイクルカムイは雪をはね飛ばすふりをして、いきなり雪のカムイをやっつけてしまいました。それで、雪のカムイは、「人間にはいたずらをするものではない」と反省しました。

冬の十勝平野と日高山脈

冬の十勝平野と日高山脈

 

アイヌ絵と平沢屏山(ひらさわびょうざん) 広報おびひろ平成21年11月号

 アイヌ絵とは、アイヌの人たちが伝統的な生活を営んでいたころの生活の様子を江戸から明治あたりにかけての和人の絵師が描いた絵のことです。
 この絵師に平沢屏山という人がいました。
 屏山は日高や十勝を訪れ、アイヌの人たちと生活をしながらその姿を描きました。
 絵のモチーフは狩猟や漁労、カムイへの祈りや舞踊、交易の様子などさまざまで、アイヌの人たちの姿が生き生きと描かれています。

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 また、中には描かれた場所が推測できるような絵もあります。
 今回、ロシアで発見された屏山のアイヌ絵が百年記念館で展示されていますが、この中にも広尾のフンペの滝と思われるものや道南の駒ヶ岳らしい山の絵も見られます。この機会にぜひご覧になってください。
 ※展示会「アイヌの美」展・「描かれたアイヌの世界」展は、帯広美術館と百年記念館で11月11日(水)まで開催しています。

 

死者の魂 広報おびひろ平成21年8月号

 夏というとやはりこわい話がつきものです。
 アイヌの人たちの中にも死者の魂、つまり幽霊にまつわる話がいろいろとあります。
 十勝ではあの世に行けない死者の魂がアイヌカイセイという化け物になり、人に悪さをするという話が伝えられています。
 このアイヌカイセイは必ず女性の姿をしており、地面までたれるほど髪が長くて顔も見えず、また手足がない姿をしています。
 主に空き家や長期の留守宅に昼夜を問わず現れるといわれ、もし、家の入口などで見てしまったら無言で家の中に入り、火のカムイ(神)に祈ってアイヌカイセイに供物をささげて弔えば良いのだそうです。
 また、火の玉(人魂)[ひとだま]も昔はよく見えたそうです。
 これは死者の魂なので、もしもこれを見つけたら自分の股の間を通して見ると生前の人の姿となって見えるものだといわれていました。

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チキサニ(ハルニレ) 広報おびひろ平成21年6月号

 ハルニレは十勝のあちらこちらで見られる大きな木です。
 特に豊頃町のハルニレの木は有名ですね。
 ところで、この木は、アイヌの人たちの伝説の中でとても美しい女神として登場します。
 例えば、雷の神が地上にたたずむ美しいハルニレの女神にみとれて天から落ちてしまい、ぶつかったハルニレが懐妊して人間の始祖(しそ)神であるアイヌラックルという神を生んだという伝承があります。
 また、火の神とともにハルニレの女神がこの世に降りてきたとき、太陽の神が見とれてしまったためにハルニレは懐妊し、オキクルミ(文化神)という神を生んだという話もあります。
 ハルニレはアイヌ語でチキサニといいますが、これは「私たちがこする木」という意味です。
 おそらく、昔はよく火おこしのために使われたのでしょう。
 このほか、十勝ではこの木にはヘビがつきやすいという伝承もありました。

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八千代A遺跡8千年前のムラ 広報おびひろ平成21年4月号

 氷河期として知られる寒冷な時代が終わり、現在に近い植生となるのは8千年前ころといわれています。
 同じころ、地面を掘りくぼめて作った住居(竪[たて]穴[あな]住居)で暮らす人たちのムラが帯広で初めて現れます。
 今、私たちが八千代A遺跡と呼んでいる遺跡です。
 日高山脈のふもとにあるこの遺跡は、20年前に行われた発掘調査によって、三つの地点から大小合わせて105棟の竪穴住居跡が発見されました。
 8千年前くらいの遺跡としては、日本でも有数の規模をもつことで知られています。
 とはいっても、重なり合う住居跡も多く、これだけの数の住居が同時に使われていたというわけではないようです。
 数百年の間、何度も作りかえられた結果として多数の住居跡が残されたものだと考える方が良いでしょう。
 住居内にある炉からは、炭化したクルミ、ドングリ、キハダなど秋に熟す実や種が見つかっています。
 集められた木の実を肉や魚と一緒に食べながら、雪解けのころまで暮らしていた様子が想像されます。

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食材の保存 広報おびひろ平成21年3月号

 アイヌの人たちが伝統的な生活を営んでいたころ、料理のおもな材料は鳥獣や魚、山菜などの自然からの恵み、それにアワやヒエなどの栽培した穀物などでした。
 これらの食材は、採集してそのまま料理することもありましたが、多くは保存して蓄えられました。
 では、これらの食材はどのように保存されていたのでしょうか。
 鳥獣の場合、肉を細く割いて煮てから天日に干し、その後、家の中の炉の上に下げて薫製にしました。
 また、魚類は秋から冬にかけて捕獲した場合、内臓を取り除き天日で乾燥したり、乾燥後、炉の上で薫製にしました。
 植物はそのまま、あるいは一度ゆでてから天日で乾燥して蓄えました。
 このように伝統的なアイヌの人たちの暮らしの中では、食材の保存は乾燥によることが多く、和人のように塩漬けなどで保存することはしていませんでした。

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松浦武四郎がみた十勝アイヌのくらし その2 広報おびひろ平成20年11月号

 安政5(1858)年5月上旬(陽暦)、松浦武四郎はヤムワツカヒラ(現在の幕別)の村長(むらおさ)イキリカシの家に着き、そこで昼食をとりました。
 ここで出された料理のなかに粟(あわ)の粉とオオウバユリのデンプンで作った皮でサケの卵を包み、それをゆで上げたものがあったそうです。武四郎はその味について、「至て妙なり」という感想を残しています。
 また、8月下旬(陽暦)、武四郎は歴舟川を遡(さかのぼ)って今の大樹町から上札内付近に到着し、そこの村長であるマウカアイノの家に泊まりました。
 記録にはその家はキハダの木の樹皮で葺(ふ)いてあり、床にも敷き詰めていて、実に美しく暮らしていると記しています。
 このように武四郎は、各地の特徴的なアイヌ文化について多くの記述を残しており、幕末のころの十勝のアイヌ文化を知る数少ない記録のひとつとなっています。

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松浦武四郎がみた十勝アイヌのくらし その1 広報おびひろ平成20年8月号

 今年は幕末に蝦夷地を探検し、「北海道」という名の発案者でもある松浦武四郎が十勝の内陸を踏査してちょうど150年にあたります。
 そこで、武四郎がみた幕末の十勝アイヌの様子について紹介したいと思います。
 安政五(一八五八)年、富良野方面からサホロ川沿いを通り、ニトマフ(現在の清水町人舞)に到着した武四郎は、アラユクという村長(むらおさ)の家に泊まります。
 武四郎の記録によると、その村長は威風堂々とした風貌(ふうぼう)で、萌黄(もえぎ)どんすの広袖の着物の上に山丹錦の陣羽織を着ていたそうです。
 この山丹錦(さんたんにしき)とは、中国から渡ってきた龍の文様などが入った立派な絹織物のことです。
 十勝の内陸であっても、このような中国からの移入品があることを考えると、アイヌの人たちのなかで交易が盛んに行われていたことが推測されます。

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「ギョウジャニンニク」の名前を持つ草 広報おびひろ平成20年6月号

 春は山菜採集のシーズン。
 伝統的な暮らしをしていたころ、アイヌの人たちにとっても春はさまざまな山菜を採集する季節でした。
 ところで、春の代表的な山菜にギョウジャニンニクやニリンソウがあります。
 アイヌ語でギョウジャニンニクは「プクサ」といいます。 そして、ニリンソウはというと「プクサキナ」といいます。
 訳すと「ギョウジャニンニクの草」という意味になります。
 姿形がまるで違うし、それに味も違うのになぜニリンソウのことをこんな名前で呼ぶようになったのか、その理由はよく分かっていません。
 また、「シタプクサ」という名前の草もあります。これは「犬のギョウジャニンニク」という意味です。
 なんの草だと思いますか?
 実は、これはスズランのことです。確かに姿はよく似ています。
 でも、スズランは毒があって食べられません。
 昔の人たちは姿が似ていても食べられないため、こんな名前で呼ぶようになったのでしょうね。

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